パチンコと新台
バブル経済下では金融・資産運用で大幅な利益を上げる例が強調され、企業においても本業で細々と着実に利益(インカムゲイン)をあげるのでなく、所有する土地や金融資産を運用して大きな収益(キャピタルゲイン)を上げる「財テク(○○転がし)」に腐心する例もあった。 潤沢な資金による買いあさりの対象は、NTT株の公開に伴う一般投資家による投資や、フェラーリやロールス・ロイス、ベントレーなどの高級輸入車、サザビーなどが開催したオークションによるゴッホやルノアールなどの絵画や骨董品、にまで及ぶなど、企業や富裕層のみならず、一般人まで巻き込んだ一大消費ブームが起きた。 これらの背景には、中小企業主に対する融資が緩くなったことや、企業に勤めて新居購入のために貯金をしていた世帯が、土地価格の急激な上昇のため新居取得を諦め、新車購入や旅行、消費に走ったことが原因として挙げられる。 潤沢な資金を得た企業が、海外の不動産や企業を買収した。著名なところでは三菱地所によるロックフェラー・センター買収(2000億円)、ソニーによるコロムビア映画買収をはじめとして、海外不動産、海外リゾートへの投資、海外企業の買収が行われた。また、企業に留まらず、土地を担保に大金を借り入れた中小企業オーナーや個人、マイホーム資金を貯蓄していた個人の中からも、海外の不動産投資を行う者が出てきた。 買収の対象となった国からは、アメリカの心を金で買い取ったとする非難が浴びせられた。また、不動産への投資は現地の地価の高騰を招くとともに資産税を上昇させ、正常な取引を害し地元経済を混乱させたものとの非難が浴びせられた。 1984年には、金持ちと貧乏を対比させた渡辺和博の著書「金魂巻」で使用された「○金○ビ(まるきん・まるび)」が流行語大賞となる。 新たな価値観・感性を持った若者は「新人類」と称された。ファッションではDCブランドが持て囃され、その販売員は「マヌカン(ハウスマヌカン)」と呼ばれた。「ワンレン・ボディコン」の女性が求める結婚相手は「三高」であり、若手エリート「ヤンエグ」(ヤング・エグゼクティブ。30代で係長・課長)の服装はソフト・スーツであった。ウォーターフロント地区がトレンディとされ、「空間プロデューサー」がデザインした飲食店はカフェバーと呼ばれた。 海外旅行者が激増したのもこの時期からである。家庭用ゲーム機業界においてもファミコンの次世代を担う次世代機の競争が各社で始まっていたが、中でもNECホームエレクトロニクスが開発したPCエンジンの周辺機器は、当時最新鋭だったCD-ROMシステムをゲーム機に組み込ませた製品が4〜5万円で発売されるなど、ゲームにおいても高級志向が浸透しつつあった。 こうした熱狂の中、1987年の中嶋悟のフォーミュラ1への参戦を機にモータースポーツブームが巻き起こり、多くの日本企業がF1チームの買収やチームのスポンサーに名乗りを上げた。 また、国内のモータースポーツの包茎 パチスロエヴァンゲリオン パチンコ 北斗の拳 アイムジャグラー パチンコ 動画 である全日本F3000選手権には、サントリーや日本たばこなどの大手企業から、武富士やプロミスなどの消費者金融業者や、不動産取引で大金を手にしたにわか仕立ての中小企業まで多くの企業がスポンサーに名乗りを上げ、空前の参戦台数を記録した。 「六本木カローラ」BMW3シリーズ日産・シーマやトヨタ・ソアラ、トヨタ・クラウンなどの国産高級車への人気集中(「シーマ現象」と称された)が起きた他、ステータスシンボルとされていた外車も、その販売台数の急増から、メルセデス・ベンツ 190Eが「コ(子)ベンツ」、BMW3シリーズが「六本木カローラ」などと揶揄された。 特に高級外車は、東京都心や大阪市内などの大都市の道路でメルセデス・ベンツ560SE(ケーニッヒやキャラットコンプリートなどのチューン版も多かった)やポルシェ・911、ジャガー・XJなどが走っているのが全く日常の光景の一部となり、フェラーリやランボルギーニ等のロードゴーイングカーや、マセラティやデイムラーなどの、これまで輸入台数の極端に少なかった高級車が走っていることでさえ、大都市近郊においては特に珍しい存在ではなくなったのはこの頃以降のことである。 またこの当時、ヤナセ(メルセデス・ベンツ)やBMWジャパン(BMW)などの正規輸入販売代理店経由でこれらの車を購入する場合、車種によっては注文してから納車されるまで1年以上かかるケースがあっため、輸入車専門店がドイツやアメリカ、ドバイなどから新車(時には中古車)を並行輸入し、「即納車可能」として正規輸入販売代理店の販売価格に上乗せしたプレミアム価格で販売しているケースもあった。 フェラーリF40この頃フェラーリは、1988年に創設者のエンツォ・フェラーリが死去したこともあり、新車のみならず中古車価格も世界的に高騰していた上に、人気車種の「テスタロッサ」を正規輸入販売代理店のコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドで新車を注文してから納車されるまで2-3年待ちという状況であった。 そのせいもあり、限定で生産された「F40」は、コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドでの新車価格が4,650万円のところ、並行輸入された新車(即時納車可能)が輸入車専門店で2億5,000万円で、「テスタロッサ」が同じく新車価格が2,300万円のところ、5,000万円近くで販売されていたという記録が残っている。 1990年にはロールス・ロイスの全生産台数の約3分の1強が日本で販売された。その後バブル景気が崩壊し、これらのロールス・ロイスが持ち主の手から離れたために、日本におけるロールス・ロイスやベントレーの中古車市場が大暴落し、その結果、これらの多くが1990年代中盤に海外に買い取られていった。 消費の過熱は当然六本木や銀座、渋谷などの盛り場にも影響し、これらの盛り場では大金を手にしたいわゆる「バブル紳士」から学生までが大金をつぎ込んだ。 この様な動きを受け、大手企業から中小の不動産会社までがクレジットカード 現金化 ショッピング枠現金化 ショッピング枠 現金化 出会い系 出会い系 出会い系 などのナイトレジャー開発にも投資したこともあり、1980年代後半から1990年代初頭にかけて、NOVA21グループが「マハラジャ」や「キング&クイーン」を全国展開したほか、六本木では雑居ビル「スクエアビル」の殆どがディスコになった他「エリア」や「シパンゴ」、「Jトリップバー」などのディスコが乱立しその多くが盛況になるなど、一大ディスコ・ブームが起こった。 また、裕福な大学生を中心に組織されたイベント系サークルがこれらのディスコを数十店舗単位で同時に貸し切り、数千人を動員するパーティーを行うということも数多く行われた。なお話題を集めた大型ディスコ「ジュリアナ東京」が開店するのは、バブル崩壊後の1991年5月であった。 民間企業が好景気を受けた好業績を糧に、更に営業規模を拡大したり経営多角化を行うために募集人数を拡大し、学生の獲得競争が激しくなった。多く企業が学生の目をひきつけることを目的にテレビで企業広告を行い、立派な企業パンフレットを作成・配布して学生の確保に走った他、青田買いの一環として、都市部の大学生が主宰するイベント系サークルやそれらが企画するイベントへの協賛を行った。 なお、学生の確保に成功した企業が内定者を他社に取られないようにする為、内定学生を国内旅行や海外旅行に連れ出し他社と連絡が出来ないような隔離状態に置く(携帯電話は当時殆ど普及しておらず、まともな収入がない学生が手にすることは不可能であった)、いわゆる「隔離旅行」を行った他、「人事担当者が内定を断った学生に暴行を働いた」というような都市伝説まで囁かれるようになった。 これらの背景には急激な経済膨張・業務拡大のため夜中2時過ぎまでの残業などがざらになるなどの深刻な人手不足があり、早急に人員を確保する事が急務だった。体育会系の学生は我慢強く体力があり、先輩後輩関係で後輩学生を入社させやすいというので人気があった。特に証券等は、現場が人手不足だったので、OBを通じて学生に食事をご馳走するなどしてまで入社させた。 有効求人倍率は、1991年に1.40倍を記録。リクルートの調査では、最高値の1991年卒の大卒求人倍率が2.86倍になった。この時代に大量に採用された社員を指してバブル就職世代とも言われる。社内では同世代の人数が多く、社内での競争が激しくなり、一方で、就職直後にバブル崩壊を受けて業務が削減され、それぞれの社員が切磋琢磨する機会も減った。また、以後の採用が細った事から「後輩」が居らず、長く現場の最前線に立たされ昇進もままならない者も多かった。